『読書感想文』 伊藤之雄  昭和天皇伝

昭和天皇伝を読みました。

昭和天皇伝 昭和天皇伝
伊藤 之雄

文藝春秋 2011-07
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  • はしがき
  • 第一部 皇孫・皇太子時代
  • 第一章 期待の男児ー明治大帝の初孫
  • 第二章 楽しい少年時代ー欧州風教育と乃木学習院長
  • 第三章 明治天皇への憧れと大正天皇への敬愛ー東宮御学問所
  • 第四章 新しい世界への目覚めー大正デモクラシー・渡欧・結婚
  • 第二部 大日本帝国の立憲君主としての統治
  • 第五章 新帝としての気負いー政党政治の始まり
  • 第六章 誇りと正義感の代償ー張作霖爆殺事件
  • 第七章 重圧と自信喪失ーロンドン条約・満州事変
  • 第八章 国際的孤立と軍統制への不安ー国際連盟脱退と二・二六事件
  • 第九章 見通しのない戦争ー盧溝橋事件・三国軍事同盟
  • 第一〇章 日米開戦への危機ー日米交渉・南部仏印進駐
  • 第一一章 神に祈るしかないー太平洋・大陸での戦い
  • 第一二章 一撃講和から降伏の決断ー本土決戦か敗戦か
  • 第三部 象徴天皇としての戦後
  • 第一三章 天皇制を守るー民主化と象徴天皇制の成立
  • 第一四章 退位問題に揺れるーサンフランシスコ講和
  • 昭和天皇と昭和という時代ーおわりに
  • あとがき

本書のあとがきから、

私は、米国史・英国史上の人物の伝記に触れ、感銘を覚えた。その特色は、政治家・軍人等の公的生活を、資料に基づいて生き生きと描くのみならず、誕生から死に至るまでの私生活とも関連させて、対象人物の生涯を論じることである。米・英の心ある読者は、対象人物の生き方、浮き沈み、喜びや怒りなどを通し、その人物を深く理解できるだけでなく、自分の人生を見つめ直すことが出来る。大統領や首相と言ったトップレベルの政治家たちは、後世の歴史家たちによって自分がどう描かれられるのかを、常に念頭に置いて行動する。伝記が政治の弛緩や腐敗を抑止しているのである。

日本では、<中略>欧米のような本格的な伝記はほとんどない。日本の政治が二流であり、いつまでも混迷を続けているのは、日本に事実に基づいた本格的な伝記がはたっつしていないことも一因と思われる。

この筆者の意気込みが、本書で実現できているかどうかは読む人にとって評価が分かれるかな。
私は、資料に基づいた事実ベースの話主体になっていて全体として良かったというのが、読んだ後の感想でした。ただ、意気込みが空回りしているかも的な思いも若干あるかな。なんか、重要な部分が抜けているような感じもあったし(どの部分だったかな・・・)。

それにしても、人文系の学者って、攻撃的に他者や他者の研究を批判する人が多いですね。これ、伝統なのか、文化なのか。工学系ではそんなことは少ないかな。

単行本で600ページ近いボリュームなので、読むのは結構大変ですが、読んでいて苦痛になる様なこともなく、読んでおいて損は無いのではないでしょうか。というか、読んでおくことを進めます。

皇太子・摂政宮時代の国民的期待・人気を背景に践祚後、積極的に政治関与をしようとした昭和天皇だが、その試みは失敗する。張作霖爆殺事件でも田中首相に対する問責、ロンドン軍縮条約での対応、満州事変への対応(朝鮮軍の独断越境に対する対応)の失敗により、天皇としての権威が失墜し、特に軍部に対する影響力が落ちていく。
この背景としては、まず、昭和天皇の若さによる不安感があるのと、側近の宮中グループの政治的未熟さによると指摘。
明治憲法下での天皇の役割としては、政治の調停者としての役割であり、明治天皇の行動としてもその範囲に合ったのに、それを逸脱するものだったと。明治天皇が、その様な対応が出来たのも、政治的経験を十分に積んだ後だったと。
例えば、天皇の関与により内閣を倒閣させたとして、後継内閣が組閣できなかった場合(例えば、陸軍、海軍が大臣候補を出さない場合)、天皇の権威は決定的に失墜してしまうと。
そういう意味では、確かに積極的政治関与に打って出るのはまだ速すぎた。

田中内閣辞職後の反動は、二・二六事件への布石となるものだったのかなと思ったり。
当時の軍部の青年将校、右翼、国粋主義者の考えとしては、天皇親政だったが、その天皇は自分たちの理想とする天皇でなくてはならず、天皇が自分たちの考えと違っていた場合、天皇を買えることも考えにあった(秩父宮が考えあった)と言う背景もあれば、昭和天皇が開戦時に、開戦に抵抗した場合クーデター発生を懸念したのも合点がいくかなと。

その後、二・二六事件での対応から徐々に権威を取り戻し(軍部と宮中とのせめぎ合い)、数々の修羅場を乗り越え政治的実力が涵養されていき、最終的には軍部の権威が徹底的なまでに失墜したために、終戦に向けては天皇が主導権を持っていけたと。
終戦の聖断が出来たのであれば、開戦をしないという聖断も出来たのではないかという批判に対しては、開戦時点では、軍部の権威は確固たるした者があり、それに抵抗して開戦をしない判断をしたとしても、結局は内閣瓦解(政府・軍部が一致して上奏した政策を天皇が裁可しないため、その輔弼の責を全うできないために総辞職)、後継内閣が出来ずに昭和天皇が譲歩する形で開戦内閣の成立となってしまったのではないか。その場合、昭和天皇は軍部の作戦に一切関与できない状態、軍部がさらに暴走した状態になってしまったのでは。
昭和天皇の開戦決断に対する批判については、その視点が欠けていると思う。いや、批判したい気持ちは解るんですがね。ひとりの人間にすべての罪をかぶせることが出来たらそりゃ楽ですもの。

我々が後知恵で色々と批判することは簡単だけど、それはフェアでない。
当時の人がどのような考えを持ち、どのような背景を持って決断をしたのかを考えなければ行けない。
そして、そこから教訓を得て現在に生かしていかないとダメじゃなイカ。

とまぁ、歴史的な話はここまでで、他におっと思ったところは、昭和天皇妃である良子皇后と、大正天皇妃である貞明皇后の関係がしっくりいかなかったと。時代はながれて、良子皇后と今上陛下妃である美智子妃との関係もしっくりいっていなかったと。
さらに現在になって、雅子様との関係についても・・・。
うーむ、いつの時代でも家庭の問題は同じ所で起きるのだなと思ったのでした。

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